書き散らかしてすいません。さまざまなことを書き散らかし、これといって、まとめもなく終わってしまった。
これではいけないと思い、エピローグを書いておこうと思った。そして、いま、書きはじめたのである。
わたしは、『日系社会』にそれほど、関わっていない。しかしながら、『日系社会』の貴重な一員であることには間違いないのである。
移民百周年のイベントのチケットを手にすることができたものの、仕事のため、会場の外で待つはめになった苦い体験。
南米で言葉の壁、文化の壁と戦いながら、生活している私。
日本と正反対の気候、口に合わない食べ物、すべてがわたしにとって、壁なのである。
昔の一世も今の一世も変わらないと思う。変わるのは、時代であり、世代である。
そして、その移り変わりの中で、私たちは生き続けるのである。
そこには、さまざまな葛藤や人生のドラマが誕生しているに違いない。
今回、私が『日系社会』、『日系(人)』、『故郷』、『情報のデータ化』を題材にして、断片的に説明を試みた。
私自身、わからないことだらけであり、あやふやなことがたくさんある現在、何をどう書いてよいのかわからなかった。
インターネットが普及した現在、情報伝達が速くなった。世界のどこに住んでも、誰とでも、気軽るに連絡が取れる世の中になった。
だからこそ、『国際人』としてのステータスが大切になってくる。
ただ、そこには、ベースにならないといけないものがないといけないという。
何をもって、ベースにするのか。それがわかれば、苦労をしないで済むことだろう。
最近、『麦』の話を聞かなくなった。『二宮尊徳』の話も聞かない。『苦学生』は、死語である。
『苦労話』などは、流行らないのだろう。それよりも、もっと、大事なことがあるのだろう。
わたしも、時代遅れの人になってきたということである。
『時代』の波に乗るのも、乗り遅れるのもその人の自由だと思う。
ただ、大切なのは、前を見つめて生きていくことだと思う。
ここは、ブラジルだから、ここは、日本だから、その都度、臨機応変に考え、自由な発想のもと、今の世の中を闊歩したい。
そう、あの大空にゆっくりと浮かんでいるあの白い雲のように。
(真一)
追記
今回、本の出版に先駆け、ネット上で私の書いた文章を掲載させていただきました。
これは、わたしになりの視点からみた最近の出来事を題材にして書いたものです。
どうぞ、ごゆっくり、ごらんください。
本の内容とは、ほんのちょっと変わっているかもしれませんが、、、(やっちゃいました)
このサイト上に掲載されたのが、わたしのオリジナル原稿です。
それでは、またの機会にお会いいたしましょう。
平成26(2014)年11月16日 午前7時
(ブラジル サンパウロにて 夏時間がはじまっており、日本との誤差、、、いえ、時差は11時間です)
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